筆者は、今年1月にインドのムンバイ(旧名ボンベイ)で開かれた第4回世界社会フォーラムォーラム〈WSF〉に参加した。フォーラム自体についてはすでに「東京支部つうしん」に書いたので、それ以外の事柄、インドの印象などを述べてみたい。
実は、これまで海外に何度か行く機会があったが、ほとんどがヨーロッパであり、初めての本格的な第3世界への旅であった。とても新鮮な体験であったが、しかし残念ながらものの見方が根底から覆るということは、さすがになかった。
というのも、貧困や格差といった問題についても、一応頭では理解しているし、それなりに世界観も形成されているので。それでも、本物のスラムを目の当たりにして、観念と現実のギャップを感じざるを得なかった。初めて見たそれは、ビルの合間に箱庭のように雑然と存在しており、想像とやや異なっていた。また、空港に到着早々、どこからかコ一ランが聞こえ、拡大するイスラムを実感した。ちなみに、ムンバイはアラビア海に面しており、対岸はアラブやアフリカである。
このような場所で開催されるWSFはどのような意味を持つのであろうか。債務・貧困問題から、この会議は出発したのだが、スラムの住民や路上生活者たちは、そもそもWSFがあること、そしてその意味を知っているのだろうか。大体、インド各地から集められた参加者の多くが、会議の流れとは無関係に、ただ気勢を上げているのだから。さらには、これらの人々の生にも思いを巡らせてみた。
ともすれば、彼ら/彼女らの存在をとるに足らないものと見なしかねない。だが、その人生にも喜怒哀楽があり、それぞれに意味づけを与えられているのだろう。このことは外からでは分からない。そう考えてみると、第3世界のエリートが、しばしば自国の貧困や格差に無関心でいられることも不思議ではない気がする、外界から隔絶された環境から、この現実を認識するのは困難なことであろう。
しかし、こうした事実を知ること、それは文化の多様性を実感することであり、さらにはそこから民主主義を深め、市民社会を強化することが、物質的基盤の整備とともに重要になってくるだろう。確かに、一足飛びに民主主義の主体としての「市民」となるのは難しい。だが。この過程が社会開発と相補的な関係にあることも、碓かなことだろう。その点で、文化の多様性および民主主義というテーマが、WSFの中で大きな位置を占めていることは、もっと注目される必要があると思う。
残念ながら日本ではあまり知られてはいないが、ここにWSFの理論的可能性を見ることができる。これに関連して、世界科学宣言などに取り上げられているローカル・ノレッジとつながる、西欧・近代的な知を相対化する運動が、インドで展開されていることを帰国後に思い出した。そのことを最後に付け加えておきたい。
『日本科学者会議・個人会員ニュース』 No.58(2004年3月1日発行)より