八ッ場ダム問題と少数意見

 今日、重要な判断が会派内でなされました。ひとつは八ッ場ダムの問題です。僕自身は、この事業は無駄な公共工事の典型であり、反対です。ただ、会派の意向は賛成ということで決しました。実際賛否はかなり拮抗していましたが、決定過程の是非は問いませんが、賛成ということに決まりました。

 ここで問題は、この小数意見をどのように表明するのかということです。造反して反対も出来ますが、その立場はとりにくいのが実情です。皆さんもご承知のように、この会派はかなりばらばらな考えの持ち主で構成されています。それでせっかく統一会派を組んだのだから分裂はしたくないというのが、多くの人の気持ちではあります。それをくめば、採決の際の退席という選択肢が残ります。

 最低限これを認めることが、多数決原理に付随する寛容の精神ということになると思います。イギリスにはカウントミーアウトという表現があるかと思いますが、これこそ信条に関わる点で譲れないのなら、加わらない自由を、留保する自由を認めるべきだと、ここでいっておきたいと考えます。これがあるから民主主義は成立するというのが、政治理論の研究者としての僕の立場でもあると、付言しておきます。これを否定するのは、正直いって、トレランスの閾値を超え出ることではないかと思ったりするのですが。これこそ矛盾しているのですが、デモクラシーとはそういうものを内包したものでもあるのです。

 これは何も理論的な立場を表明するためにいっているだけではありません。会派の決定を尊重するからこそ、このような態度をとるのです。分裂したくないのなら、最低限、こうした共生の作法を容認する以外ないと思いますが。これはある程度普遍的なルールではないかと思います。

 ここで問題なのは、マジョリティーの人が、少数者の立場を理解しないということでもあるのです。想像力の欠如と非難するつもりはありませんが、多数者が少数意見の立場を分かるというのは、難しいのでしょうか。少なくともこの会派では、そんなことを感じさせます。というのも、もう一つの判断に関わりますが、歴史認識の問題でもそれを感じたからです。

 歴史認識をめぐって、ここでは世間的な常識とは異なって、歴史修正主義的言説が有力です。もちろん僕は、それに反対ですが、会派でそれを決めればそれでいいと思います。事実、無駄な公共工事の際より賛同者は少なかったわけですし、まあ明らかな小数意見であるのですから。

 それはよしとして、ここでの問題は、そういうことを繰り返していくうちに、多数者がマジョリティーに安住していってしまうことなのです。多数だからという安心感が、結局自分たちの意見が通るのだから、きちんと議論しなくてもいいやという姿勢を生み、思考停止に陥りがちだということです。議論することの難しさはもちろん承知していますが、それでもやるべきだと思います。

 残念ながら、これまでもこうした姿勢が、ままみられたというのが、実際のところだったと思います。それをすぐに改めるのは、本当に困難なことだとは思いますが、それがデモクラシーにとって肝要なのです。異質な他者との共存、これが現代のラディカルなデモクラシーの課題でもあるのです。

 このようなことを愚直に考えること、それも単に理論的な次元だけではなく、実践においても、それが今問われているのだと思います。その中でカウントミーアウトという意思表示を、原則的な立場で認めることを含めて、どのような振る舞いが容認できるのか、寛容という点でも、重要なのではないでしょうか。このことを、これからも会派内において、声を大にしていっていきたいと考えています。

 ここではっきりと言っておきたいのは、この点に関する限り、僕自身は単独者であるということです。仮にこれらのことから会派を離脱するということになっても、それはかまわないということです。信条が第一ですし、そのためには単独者の道をとることになんの躊躇もありません。それは僕が素人の政治家であり、単なる学者的理想論であるとの批判もあるかもしれませんが、それはそれでいいと思っています。

(2008年3月7日/ブログより転載)

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